2009年1月26日月曜日
もちろん”スパ”も
帰ってきました。バリに到着した時は確かに「あー暑いなー」と思いましたが、それ以降は風もよく吹いて爽やかだし体調も良好、お天気にも恵まれてとても快適に過ごす事ができました。そしてばらまき土産を手に関空へ「おー寒い」。家に帰り着いても寒々、私って寒いの苦手かも???
JALはどうして行きも帰りも到着が遅い時間なんでしょうね?あと2時間位早くても良いと思います,という事でレイトチェックアウト後の時間つぶしにホテル内に有る「クリアスパ」に行きました。お願いしたのは「モクシャハーモニー2時間15分コース」 フットマッサージ スクラブオイルマッサージ ソルト&ハーブバス そして全身もみもみで「あー極楽極楽」。お値段は巷のスパの倍はしますがその豪華さは折り紙つきで、最後に「キャロット、ジンジャー、ets・・・mix」微妙なお味のドリンクをいただいて全て終了。
今度は家で待っていたバラを私がお手入れする番です。
ケチャ バリ おいしかったよ!
爆弾事件の後から、ホテルのセキュリティが極端に厳しくなったそうで町中にゲートが在ったり、ホテルの門も厳重に警備されていて、タクシー等で外から帰って来るたびにゲートの前で車は止められ、夜だと懐中電灯で顔を確認されます。それからまたまた入り口で今度はまるで空港のセキュリティーチェックの様なゲートが有って金属等に反応してピーなんて鳴ったりします。でもそんなにものものしい雰囲気はなく、顔を覚えるとピーと鳴っても、セキュリティーの方はニコッと笑って通してくれました。
ある日ディナーに出かけるのにレストランからのお迎えを頼みました。ロビーで待つこと10分・・20分・・約束の時間は過ぎていきます。これもバリタイムかしら?・・・その内心配になってきてレストランに電話を入れると、「向かってる途中」という返事なので、まだ待ちました。
それでも迎えは来ないので、ホテルのフロントに相談すると、ななんとあーそうだったのかー! レストランの運転手さんはホテルのゲートを通して貰えないのだそうです、知らなかった。某旅行社のガイドはフリーパスでホテルのロビーをうろうろしてるのに。
結局タクシーでレストラン「ケチャ バリ」へ。ガイドブックにも載っているかの有名な「ブンブ バリ」とは大違いで貧相な造りの店内は人影もまばら。オーナーが各テーブルを回ってもてなすつもりか、しゃべるはしゃべる。私たちのテーブルにも現れて「うまいか?」それからはお店の経営の苦労話・・・最後はオーナー自らホテルまで車で送ってくれました。
お店の造りや雰囲気は「ブンブ バリ」の勝ち、お味は「ケチャ バリ」かな~。どちらのお店もオーナーはドイツ人でした。
2009年1月25日日曜日
Ground Peace
昨日は田舎めぐりだったので、今日はバリの繁華街 クロボカンからスミニャック、レギン、クタまでを北から南へとじゃらんじゃらんしてきました。シルバーやバチックのお店でお買い物をしたり、バリ家具を見たり、歩き疲れると小さなレストランでお茶を飲んだり。バーゲンの袋を持った白人グループもうろうろする全くの商業地で、日本に持って帰りたい家具も一杯あったのですが、神戸までの送料が家具本体を超えるとなっては、あきらめざるを得ません。庭に置けたらいいなと思う陶器の壷や甕もたくさんあったのですが、同様の理由であきらめました。
すぐ脇を猛スピードでけたたましく走り抜ける車やバイクに負けないで約6キロぐらいでしょうか、あっちをひやかし、こっちをひやかししながらぶらぶら歩いていると、2002年10月にバリで起きた爆弾テロ事件の現場に出ました。そこには、テロでなくなられた人々の名前を記した慰霊碑が建てられて、その中には日本人の方の名前も2人見受けられました。おりしも、その前では数人のグループがこの地”ground zero"を ”ground peace"にしようではないかと、ギターをならしながら歌っていました。
もちろん事前にテロ事件のことは知ったうえで出かけたのですが、のんびりとした現場はとてもそんな事件があったとは思えない、いわば”観光名所”となっていました。
テロさえも、一介の旅行者には時間の経過とともに”観光名所”と化してしまう残酷な現実をみせられた一日でした。
2009年1月24日土曜日
炎のバリ
昨日はあの噂のケチャック・ダンスを見てきました。(実は昨夜アップするはずだったのですが、パソコンの電源トラブルでバッテリーがあがってしまい、AC電源もなぜか調子が悪く、今朝のアップになりました。)
バリ島南西部バドゥン半島の西端、雄大という言葉が似合う高さ70mの断崖絶壁に建つウルワツ寺院は高僧ウンブ・クトゥランによって10世紀ころ建立されたそうです。その境内でインド洋に沈む壮大な夕日をバックに繰り広げられるケチャックは、楽器をいっさい使わず数十人の男声の独特のリズムとにのせてヒンズー教の創世神話の一部を物語るパフォーマンスで、とても神秘的でした。その後に続くファイヤーダンスは、神事を司るマンクーがトランス状態で真っ赤に燃える火を蹴散らして、その火の近くの観客から一瞬驚きの声があがるほどでした。
雨季にもかかわらず、昨日もよい天気でした。雨女のわたしの悪運が何時舞い戻るか心配ですが、今日はこれから繁華街へでかけてみます。
2009年1月22日木曜日
BALI 天国かも!
寒い日本を出発して7時間、今日私がインド洋の島バリでのんびりしているなんて、自分自身でも信じられません。これはきっと毎日寒い中、私が一生懸命にバラの世話をしていたのを神様が見ていてくれて、その御褒美に連れて来てくれたのだと・・・・ここはそうしておきましょう。
さてバリは1月は雨季のはず?ですが今日はピカピカのいい天気、ビーチはとても爽やかな風が吹いていてあまりの気持ちよさに私も久しぶりに海の見えるプールで泳ぎました。西欧の方が多いホテルでは日本人はスマートに見えるのでちっとも恥ずかしくありません。しかしインドネシア料理がとても美味しいので太ってしまいそう、午前中のプールだけではとても食事のカロリーを消化できそうにありません。が、帰ったら又つらいバラのお世話が待っているということで栄養を蓄積しているのだと自分を納得させながら、さあディナーに出発。今日はシーフードだぞ、飲むぞ、食べるぞ、恐れるな!!!!
2009年1月16日金曜日
ツル薔薇の誘引
バラ園等で綺麗なバラがいっぱい咲いているのを見るのは本当に嬉しいものですよね。特にアーチやオベリスク、ラティスなどに群がる様に咲くツルバラは、私のため息を誘います。
だけどその為の努力が丁度今頃 多分今頃 多くのバラ園やバラを愛する方々の手によってされているのをご存知ですか?
それがこの寒い時期、数ある仕事の中で一番辛い「ツルの誘引」でしょうか?3~4年経って古くなった枝を剪定し、新しくて元気なシュートを横に這うように誘引していきます。「頂芽優勢」といって植物は一般的に頂上付近の芽が良く伸び花が咲きやすいのだそうです。
そこで私も頑張ってはいるのですが。バラにも良い子とそうではない子がいまして・・・、棘なんです。コーネリアやバフビューティーは比較的棘も少ないし、しなやかなので殆ど何もしなくていい子。一方ガートルートジェキル(イングリシュR)は最高に〇〇な子、でも花は豪華だし匂いは素晴らしいです。
オールドではアンリマルタン(モス)が立派な棘棘棘です。鮮明な赤というよりドピンクの八重咲きで可愛いのです、枝が細いので助かりますが。
ウエスターランドに至ってはもう「木」なので鋸で枝切りをします。棘も爪ぐらいの大きさがあるので下手をすると「ばっさり 赤い液体がタラーリ」なんて事もしばしば。
何をしている人かと不思議に思われる程 手は何時も傷だらけです。革手袋も有るのですがついつい。
”見果てぬ夢 バラの園を夢見て”今日も頑張ります。
2009年1月11日日曜日
「やめられない とまらない」。
2009年1月8日木曜日
「戎さんまでに全ての葉をとりましょう。」
暦の上では寒の入りして寒くなりました。といっても大阪の冬なんて北国の方からしたらしれたものでしょう。バラも良く分かっているのか1月になってもなかなか葉を落としてくれません。咲いている花さえ在ります。
そこで誰から聞いたか 何かの本で読んだかは忘れてしまいましたが、「戎さんまでに全ての葉をとりましょう。」という有名なお言葉があって、約100本近くあるバラの葉を一枚ずつ取っています。これが大変な作業なんです。だって一本の木に何枚の葉が有るか想像してみてください。でもバラのことを考えると 少しの間冬眠ではないのですがお休みをあげないといけないし 葉にはバラ特有の病気も沢山有るので シーズンを渡って病気を持ち越さない為にもどうしても頑張らなければいけない作業です。
写真は最後まで良く頑張ったバラ ストロベリーアイスです。
そこで誰から聞いたか 何かの本で読んだかは忘れてしまいましたが、「戎さんまでに全ての葉をとりましょう。」という有名なお言葉があって、約100本近くあるバラの葉を一枚ずつ取っています。これが大変な作業なんです。だって一本の木に何枚の葉が有るか想像してみてください。でもバラのことを考えると 少しの間冬眠ではないのですがお休みをあげないといけないし 葉にはバラ特有の病気も沢山有るので シーズンを渡って病気を持ち越さない為にもどうしても頑張らなければいけない作業です。
写真は最後まで良く頑張ったバラ ストロベリーアイスです。
2009年1月6日火曜日
冬の庭
冬の庭は寂しくて 特にバラばかりを育てていると、この季節は仕事はいっぱいあるのに寒々とした景色になります。そんな時ちょぴり和ませてくれるのが「ビオラ」ではないでしょうか? 寒さに強く春先まで次々小さな可憐な花を咲かせ楽しませてくれます。そして香りの好きな方にお勧めなのがスウィートアリッサム。一株植えただけでとってもいい香りで幸せな気分になれますよ。
昨年の秋 種苗メーカーに勤めている姪がダンボール箱いっぱいの球根(チューリップ・スイセン・カサブランカ・アネモネ・サフラン・ヒヤシンス等々・・・)を送ってくれました。球根は春芽がでるまでこれもとっても寂しいので「ビオラとアリッサム」を一鉢一株ずつ植えてみました。チューリップの芽ですかわいいでしょ。
2009年1月4日日曜日
ホームページなんて簡単!
今年は近年稀にみる”ドヨーン”な新年を迎えることとなりました。というのも年末ぎりぎりまで・・・そう!ホームページ作成の為パソコン相手に悪戦苦闘 苦悶の一ヶ月間だったのです。勿論作ったのは夫、普通のオヤジ。 軽~い気持ちで「ホームページなんたらかんたら」という参考書を2冊ほど買ってきて「簡単々々直ぐできるよ。」などと言ってたのはどこのどなたでしたかね? あー・・・信じてたのに~。いざ始めてみるとどうも様子がちがう。事の大変さに気付いたときには 既に半月ほどが経過していました。それからやっとお尻に火が付いて目が三角四角に? 部屋から何やら呪文の様な声が 「こうやろ こうやろ よし よし え~ うっそー」「なんでー 違うやろー!」ほとんどパソコンとお友達状態。まあ友達が少ない人だからそれもいいかもと高みの見物。 おまけに年齢も追い討ちを掛け 折角覚えたはずの文法もすぐあやふやになって、参考書を往ったり来たりと。 「年賀状にアドレス刷ったから絶対に間に合わせてね。」「う・ももももー」クリスマスの頃はストレスもピークに。そんなこんなで七転八倒しながら12月後半は大変で、出かけても用事が終わればすぐ帰宅とほとんど強迫観念に行き着いてましたね。それでもなんとか31日のお昼すぎには「出来た」という歓声というか怒声というか判別しがたい声があがりました。その間も仕事にはちゃんと行ってましたから目一杯だったんでしょうね。明けてお正月 もう何も残っていません。唯ひたすら”まったり”世は総て事もなし!と文字どおり寝正月を過ごしています。
2009年1月1日木曜日
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